トップページ

旅のプロローグ

11月最初の週、平和な街に事件は起こった。
5月に行われた総選挙の結果を巡り、野党に扇動された市民が現政府に反発するデモを企てたのだ。
学生を中心とするデモ隊は、首都アジスアベバのあちこちで、治安当局と衝突。
数十名に及ぶ死者が出たという。
このデモが国内に蔓延することを恐れた政府は、力ずくでデモを鎮圧した。
それが返って市民の感情を煽っている・・・という不穏な噂さえ漏れ伝わってきた。

・・・日本では、新聞の片隅にしか載らない報道。
エチオピアの首都アジスアベバ。
商店は軒並み店を閉め、大通りを走る車はまばら。
週末には、混乱を避ける為、外出禁止令が出たという。
私がそこを初めて訪ねてから、ほんの1年にも満たない。
アフリカ一の平和を実感できたその場所で、流血の惨事が起きるなど、私にはちょっと想像できないことだった。

事件から2週間後、私はエチオピアへと旅立った。
同行の仲間たちから出発の意志を確認できたことはもちろんだが、最終的に背中を後押ししたのは、案外たまたま手に取った本に書かれていた秘密の文言だったかもしれない。
1度めに開いたページには、こう書かれていた。
『・・・・・何をさしおいてもやるべきといっています。』
そして、2度目に開いたページには、こう書いてあった。
『・・・・・議論の余地なくイエスだといっています。』

自分の中に眠っていた答えを確信した私は、何の迷いもなく晴れやかな気持ちで出発の日を迎えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月19日(土)

当初の予定より1日遅れてアジスアベバ・ボレ国際空港に到着。
出発間際に突然フライトスケジュールが変更になり、トランジットのデュバイで丸1日を過ごしてからのエチオピア入りだ。
古い機体の窓際席は、凍えそうに寒かった。

DSC02902

早朝の空港には、9月からアジスアベバ大学のマスターコースに留学中の優子さん、そして、偶然にもこの日、朝のフライトでロンドンへの出張から帰国した観光局のハブタムが私たちの到着を待っていてくれた。

CIMG0588

再会のハグを交わした後、ホテルに荷物を置き、アラト・キロへ向う。
道すがら目を凝らすと、道路脇のところどころに、迷彩服に銃を携えた兵士たちの姿が見えた。
去年のアジスにはない光景だ。
けれど彼らの表情を見る限り、緊張感は漂っておらず、そんな小さなことからも街が正常に戻った様子が伺えた。
平和を取り戻したアジスの日常にホッと胸を撫で下ろす。

到着した先は、チュマキ・ショップ(生ジュースの専門店)。

CIMG0590

ここで偶然出会ったのは、2年半前に来日したダンサーのひとり。
彼女は、アジスにある国立劇場の1つ、アガルフクルタに所属しているのだそうだ。

ホテルに戻り一休み。
ベッドに潜り込み日本から持参の本を読み始めると、ついウトウト・・・ドアをノックする音でハット気付いた時には、待ち合わせの10分前(~_~;)。
慌てて準備をして待ち合わせのフロントに駆け下りる。
これから向うのは、アジス随一の衣料品街シュロメダだ。
1坪~2坪程度の小さな店が軒を連ね、所狭しとディスプレイされた伝統衣装に買い物欲がそそられる。

_128

戦利品は、伝統衣装を少しモダンにデザインしたツーピース。
そして、ダンス用にウォッロとワライタの衣装を購入。
後から聞いた話しによると、11月に入ってからの騒動で、客足がぱったり途絶え商売あがったりだったそうだ。
久々の外国人客に、どの店も皆、店主たちは上機嫌で値引き交渉に応じてくれた。

ホテルへの帰路、お腹に優しいスープを飲みにピッツァリア・イタリアへ。
入口をくぐると『アディアベア!』と声を掛けられビックリ。
声の主は、昨年、私たちが見学したナショナル・テアトルのダンス・スクールの生徒だった。
彼は、チュマキ・ショップで再会したダンサーと一緒に来日した天才ダンサー・ダニエルの弟イザイアス。
ダンサーへの夢は叶わなかったようだが、こんなところで再会を果たせるとは・・・
アジス滞在1日目にして、3人との偶然の再会。
これから先の出会い・再会が楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月20日(日)

11:20AMの便で、アジスを離れ、エチオピア北部のラリベラへと向う。
エチオピアでは、国際線も国内線も2時間前にはチェックインが必要だ。
ボレ国際空港は、国内線の空港も兼ねていて、時間を持て余すどころか、空港内の免税店を見て回るうちにアッという間に搭乗時刻が近づいた。
約1時間のフライトを経て、エチオピア北部の街ラリベラに到着。

空港で迎えの車に乗り込むと、ワゴン車は、山岳地帯の一本道をひたすらくねくねと上って行く。
映像でしか見たことのなかったガビをまとい両肩に棒キレを引っ掛けて歩くヒト。
ロバや羊がのんびりと行き交う牧歌的な風景だ。

DSC02946

1時間程、山道を登り、宿泊先のロハホテルに到着。

_344

チェックインして荷物を置くと、すぐに目的のラリベラ岩窟教会群の見学に出発した。

聖地ラリベラ。
12世紀~13世紀にかけて、古都アクスムに次ぐサグウェ朝を治めたラリベラ王が、この地を第二のエルサレムに・・・という命によって築かれたとされる。
一枚岩の岩盤を刳りぬき、精緻にデザインされた11の教会群は、1978年UNESCOにより世界遺産に登録された。

さて、ガイドが入場の手続きをしている間に、私たちは、近くの小屋から聞こえるこどもたちの唄声に吸い寄せられていった。
教会群の入口にあるその場所では、どうやら日曜学校が開かれているようだ。
ガラスの無い窓から中を覗き込むと、好奇心旺盛なこどもたちが外に飛び出してくる。
ひとりの女の子が私を撮って!とポーズを決めた。
カメラをジッと見つめる彼女の瞳は、まるで光を放つように強い目をしている。
いい表情をしているなぁ・・・と思いながら、シャッターを切る。
これが最後の1枚。

CIMG0624

瞬間、私のデジカメは固まってしまい、この旅が終わるまで2度とシャッターが下りることはなかった。
神秘の国エチオピア。
彼女の目力にメカが狂った・・・ということか。
加速度的に培われた日本のテクノロジーでは到底太刀打ちできない、この土地に宿る強いエネルギーを感じた魔法のような出来事だった。
(デジカメが壊れたことには、相当頭にきたけれど(▼▼メ)

以下の順番で教会群を見学する。

1)BETE MEDHANE ALEM (House of the Redeemer of the World)
11のロックチャーチの中で最も大きいとされるのが、このマダハニ・アレム教会。
古都アクスムにあり、はるばるエレスレムから運ばれてきたという伝説のモーゼの十戒を納めたアークが今なお大切に保管されているというChurch of Saint Mary of Zion。
その教会を模して作ったと言われている。

2)BETE MESKEL (House of the Cross)

3)BETE MARYAM (House of Mary)
教会脇には、聖水のプールがあり、ここに子供を授かりたい女性が身体を浸すと子宝に恵まれるという伝説が今なお信仰されている。

DSC02987

4)BETE DENAGHEL (House of the Virgins)

5)BETE GOLGOTHA (House of Golgotha)
女人禁制の教会。
ラリベラ王の遺体が安置されている。
この教会を遠巻きに眺めていると、入口から奥を覗き込んでいた西洋人の熟年カップルの奥方に声を掛けられた。
『夫だけズルイ!』と・・・

6)BETE DEBRE SINA (House of Mt. Sinai/St. Mikael)/写真
別名は、St. Mikael Church。
この教会と、上述の聖ゴルゴダ教会は、内部でつながっている。
この教会で修道士が手にする十字架はラリベラ王のものだ。

_252

7)BETE GIORGIS (House of St. George)

DSC03047

DSC03055

ラリベラを象徴するトップ・オブ・ザ・ロック・チャーチ。
1枚岩を十字に切り出したその美しい姿は、一見の価値あり。

夕闇差し迫る教会群を後に、ガイドのカサに誘われ、今晩の夕食はタッジ・ベット(ハニーワインを飲ませる酒場)でいただくことに。

_309

タッジ・ベットには、アルコールメニューしか置いていないので、途中、スガ・ベット(肉屋)に立ち寄り、ティブス(焼肉)とインジェラ(エチオピアの主食)のデリバリーをオーダーする。

_307

この店のタッジには、ソフト・ミディアム・ストロングの3段階があり、私は迷わずストロングをオーダーしたが、アルコール度数が高いばかりでなく、濃厚で深い味わいは格別だ。

DSC03102

肉屋から届けられた本場のティブスも美味。

DSC03106

タッジ・ベットもまたアズマリのようにマシンコ弾きとダンサーが対でいる。

_337

今回の旅の初踊りは、アジスではなく、ラリベラが舞台となった。

_331

ホテルの部屋に戻って、デジカメの救済を試みたが全く反応せず・・・そして、夜は更けていった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月21日(月)

朝7:30にガイドのカサとホテルのロビーで待ち合わせ、残りの教会群の見学に急ぐ。
ロックチャーチへの道のりには、通学途中のこどもたちでいっぱいだ。

DSC03128

中には、土産売りのこどもや、物乞いのこどもも混じっている。
昨日の教会見学の途中でまつわりついてきた土産売りが今朝も必死のアプローチをかけてくる。
もう名前までしっかり覚えているし、どこで覚えたのか『愛してますー。愛してますー。』などと怪しい日本語まで口にする。
アジスでは、私たちの姿を見て『チャイナ!チャイナ!』と声を掛けられることが多いけれど、ここラリベラでは『ジャパニ!ジャパニ!コンニチハ!』だ。
ラリベラで植林活動を進めている日本のNGOフー太郎の森基金の存在が、この地に暮らす人びとの間に深く浸透している証拠だろう。

朝陽の降り注ぐ荘厳な教会群を以下の順に巡った。

_379

8)BETE GABRIEL AND RUFAEL (House of Saints Gabriel & Rufael)
ツインチャーチと言われるこの教会にはトンネルがある。
暗がりを手探りで前に進むと、やがて僅かな光が差し込む地上への出口が見えてくる。
ここは天国へ向う階段。
昇りつめるとそこには、天国の扉があるという。
伝説の扉を開き、地上の楽園へ。

_388

9)BETE MERKORIOS (House of St. Mercurios)
ラリベラ教会群の中で、2番目に大きいとされる教会。
この教会の修道士が持つクロスは創建当時から大切に使われている。
目を凝らすと、クロスの表面にはキリストや聖人、天使の図柄が掘り込まれていた。

_398

10)BETE AMANUEL (House of Emmanuel)
十字架を模ったギオルギス教会に次いで美しいとされる教会。
現在修復中。

11)BETE ABBA LIBANOS (House of Abba Libanos)
ラリベラ王の妻、マスカル・カナラの教会。

さて、AMの飛行機で再びアジスに戻る私たちに残された時間はあまりない。
駆け足の見学だったが11の教会群を全て見学し、空港への道のりを急ぐ。
帰り道にガイドのカサから相談を持ちかけられた。
自分は、両親の居ないこどもを2人引取って育てているという。
その養育費に関する援助の申し入れだった・・・途上国を旅する時、このような問題に直面することは多くある。
そこで拒絶することは容易いが、違いを受け入れることもまた大切だろう。
実際に、私は自分の楽しみだけの為に何十万というお金を掛けて飛行機に乗り、旅行できる身分なのだ。
かたや、この国に暮らす人びとの多くに、楽しみの為の海外旅行という概念はないだろう。
その違いを彼らは、ごく自然に受け入れているというだけの事。
彼らが容易に受け入れる違いを、自分はうまく受け留められない。
だからといって、せっかく築いた人間関係を自ら壊していったら、結局自分は日本以外のどこにも居場所のない偏差な人間になってしまう。
結局、彼とは信頼関係が結べる程の距離になく、果たせないかもしれない約束はできないという判断で引き受けることはしなかったけれど、もしも自分が一生こどもを持たないならば、違いを受け入れ、顔の見える関係で里親になるという選択肢はアリかなぁ・・・という考えが真剣に脳裏を過ぎった。

空港がどんなに小さくても、きっちり2時間前には空港に到着しなくてはいけない。
オンタイムに到着。
けれど無常にも飛行機の出発時刻は1時間程、遅れていた。
空港内に2軒しかないKIOSKのように小さな土産物屋を物色した後、2Fのカフェへ。
早朝からの教会見学で食べていなかった朝食と昼食を兼ねてダボ(エチオピアのパン)とハチミツ、そして乾いた喉を潤すためのビールをオーダー。
このダボ&ハチミツの取り合わせは絶妙だった。

DSC03217

天然採れ立てというハチミツは、多少アクが強いが、コクがあり濃厚な味わいで食べなれるとクセになる。
注文を取りにきたウェイターの男の子は、私たちがアムハラ語を使ってオーダーにトライしたのを嬉しがって、しばらくすると、アムハラ語と英語の単語リストを書いて持ってきてくれた。
英語のスペルはかなり怪しいけれど、彼の好意そのものが私たちを喜ばせた。

CIMG0042

やがて時間を持て余した私たちは、空港内でダンスのパフォーマンス。
ダンスが大好きなエチオピア人にはオオウケだ。

出発が遅れること1時間。
ラリベラを発った後、ゴンダール・バハルダールを経由して都合2時間半遅れで漸くアジスに到着。
ホテルに戻ると慌ててシャワーを浴び、夕方からはゲシュワルクのアズマリへ。
4歳になる愛娘のバースディ・パーティだ。
私たちが到着する頃には、既に大勢の人がお祝いにかけつけていた。
初めて会うメリーは、この日の為に準備した赤いドレスを着てバースディプレゼントに贈られた自転車にまたがりご機嫌だ。

_468

食べきれない程の大盛りワットを振舞われパーティは益々賑わいを増す。

DSC03230

やがてダンスタイムが始まると、子供もおとなも一緒になって一気に盛り上がった。

DSC03264

ホテルに引き上げると、程なく電話が入った。
日本のエチオピア大使館でお世話になっている美人秘書サブレのお兄ちゃんからだ。
今、車でホテルに向っている最中だという。
サブレから、お兄ちゃんへのお土産を預かってきていたのだ。
お兄ちゃんは、1台の車に5人の友だちを乗せやってきた。

2_041

ロビー横のカフェで皆でコーヒーを飲む。
お兄ちゃんの温厚で控えめな雰囲気は、サブレにそっくりだ。
日本に赴任して、間もなく1年が経とうとするサブレへのお土産にビデオレターを撮影してお別れした。

今日もたくさんの出会いに恵まれた1日であったことに感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月22日(火)

いよいよ今回の旅の目的。
エチオピア民族舞踊を極めにナショナル・テアトルへ。
テアトル前の通りでは、満開のジャカランダが咲き誇り、とても美しい。

2_060

去年修復中だった劇場は、すっかり工事を終え、裏手の駐車場から懐かしい敷地内へと入る。
中庭沿いに回廊のようになっている個室を巡り、一通りの挨拶を済ませた後、新築の稽古場へ足を踏み入れた。

2_100

そこには、昨年私たちにダンスを教えてくれたダンサーのサランやナツィの姿が。
しっかりとハグしながら、再会を喜びあう。
去年は生徒だったタマゴ・ダンサーズが男女ひとりずつプロのダンサーに昇格していた。
おめでとう!
そして、昨年テアトルで顔を合わすことはなかったけれど、何度も通ったクラウン・ホテルで踊っていた女の子も実はテアトルのダンサーだったことも発覚。
彼女もまた私たちのことを覚えていてくれ、1年のブランクはアッという間に埋まっていった。

2_044_

この週末に日本・エチオピアの国交回復50周年の記念行事として行われる公演で、和太鼓とエチオピア民族舞踊のコラボレーションがあるそうだ。
何故だか和太鼓のテープに合わせて練習するダンサーズの練習風景をしばし見学する。

不思議なテンポのソマリ・ガンベラ~コンソのメドレー。
午後3時からの練習を約束して、いったんホテルへ戻る。

到着した日にシュロメダで購入したエチオピアンドレスに着替え、ホテル近くの日本大使公邸へ。
記念行事に参加するため、日本から訪問団を仕立ててやってきた日本エチオピア協会と合流し、レセプションに参加する。

2_080

日本人シェフによる和食を堪能。
お腹が満たされると、早々にホテルに引き上げ、再び練習着に着替えてテアトルに引き返す。
中庭を歩いていると、昨年私たちの先生として絶大な信頼と人気を誇ったマラクがやってきた。
走る寄り歓喜する私たち。
西陽が強く差し込む稽古場で、マラクから『プラチナ・ダンサー』と紹介されたゲタチョウとサランからゴッジャムとオロモを習う。

2_096_

飽食の後の練習のキツイこと。
汗びっしょり、喉カラカラでがんばった。

この日、優子さんが予め予定を組んでくれたグレート・エチオピアン・ランの舞台で踊る算段も整った。
シアターの上層部は、和太鼓とのコラボレーションに手一杯という反応だったが、我らがマラク先生の強力な加勢により、私たちの念願だったプロ・ダンサーズとのコラボレーションは、どうやら実現の運びとなりそうだ。

夜は、ヒルトンホテルで開かれた観光関連のレセプションに参加。
ユスフ前観光局長、そして新に省庁に昇格した文化・観光省のムハメド大臣にお会いした。

2_108

飛行場で既に再会を果たした同省のハブタムや、彼と一緒に9月に来日したNTOのゲタチョウにも計らずして再会。
長い1日に少々お疲れモード。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月23日(水)

エチオピア協会で募っていた机基金に参加した私たち。
"Mocha Ethiopia Dance Gropu"と刻まれた机と、私たちそれぞれの名前が刻まれた机が、これから向う学校の教室に並ぶ。
今日はダンスのレッスンを休んで協会と合流し、グラゲ村(Welkite)に日本の草の根無償で完成した小学校の開校式に出掛けることにした。
朝7:30アジスを出発しアジス市街を抜けると、道路の両脇には畑が広がる。
収穫の時を迎えたテフ(ヒエに似たエチオピアの主食)が刈り取られ、畑の真ん中に小山を作っていた。
グラゲ地方に近づくにつれ、チクルと呼ばれる丸い藁葺き屋根のグラゲハウスの集落が姿を見せ始める。
舗装道路が途切れた辺りから、家々を囲うようにして生い茂るニセバナナの木が目立ち始めた。
このニセバナナの繊維で作ったコチョというパン(のようなもの)は、グラゲ民族の主食だ。
アジスから、ほんの少し南に下っただけなのに、空は密度の濃い水色をして、天に聳えるニセバナナの緑がクッキリと映え、南国情緒満点。

DSC03412

同じ田舎町でも、山岳地帯にあるラリベラとはまったく赴きが異なる。
ラリベラが憂いのある敬虔な村ならば、グラゲは青空の似合う闊達な村。

バスに揺られること4時間。
途中、あまりのガタガタ道にバスのドアが外に投げ出された。
遥か彼方から聞こえてくる歌声。
牛の群れの向こう側には、夥しいヒトが集まっている。
歌声の主は、この学校を代表する少女だった。
炎天下の原っぱで、到着の遅れた私たちを、ずっと唄い続けながら待っていてくれた。

PICT0037

待っていたのは、この少女だけではない。
2000人及ぶ生徒たちが行列を作り笑顔で私たちを迎えてくれる。

DSC03427

いったいどの位の時間待っていたのだろう・・・こどもたちの作る笑顔のトンネルを潜り抜けながら、ところどころでグラゲのステップを踏んでみせると、一斉に湧き上がる。
広い敷地に5つの校舎。

DSC03433

けれどこれだけの校舎だけでは、とても2000人の生徒を収容することなどできない。
青空教室は、まだまだ続くのだろう。
一連のセレモニーが終わると、こどもたちにサッカーボールやクレヨン・画用紙といった文具が配られる。

2_177

日本から準備してきた2000羽弱の折鶴と紙風船。

2_164

果たして、全てのこどもに行き渡っただろうか・・・

PICT0062

やがて、こどもたちによるダンスの披露。
もちろん、私たちも踊りの輪に入り、本場グラゲの村でグラゲのステップを踏む。
グラゲの村でグラゲを踊ろうプロジェクト大成功!

PICT0069

続いて父兄によるダンスの披露が続く。

PICT0074

真新しい教室内をしばらく見学していると・・・

2_205

2_158

PICT0048

PICT0083

DSC03492

アッという間に帰路に着く時間になる。
大勢のこどもたちがバスに乗り込むまで私たちを見送ってくれた。

2_220

バスが走り始めたても、後を追い、いつまでも手を振ってくれた。
往復8時間。
でも行く価値のある8時間。

再びアジスに戻る頃には、既に夕方6時を回っていた。
ホテルに戻り、シャワーを浴びた後、夕飯は、今年日本に来たダンサーたちが踊っているファシーカへ。

2_186

2_258

レストランに入ると、ちょうど幕間のようでミュージシャンだけが席に座っている。
今年2回、日本にやって来たマシンコのエンデルガチョウが驚いたように私たちを迎えてくれた。
福岡で仲良くなったダンサーのタデラは、ステージに踊り出る前から客席を覗き、私たちが来ている事に気付いたようだ。
窓越しにニコニコと手を振っている。
お待ちかねのショータイム。

2_252_

2_284

4人のダンサーの内、3人が今年来日を果たした。
1曲目のダンスが終わった後も、ガラス扉の向こうでタデラが待っているのが判ったので挨拶に行く。
再会を祝して熱い抱擁。

dsc03561_

既に控え室に戻った他のダンサーたちにも挨拶に行き、日本で撮った写真を渡す。
その後、席に戻ると隣席のアジア系の男性に英語で声を掛けられた。
日本人なんだろうか・・・と、訝りながら英語で日本から来たと応じると、自分はシンガポールからビジネストリップで来たという。
どうやら彼は同行のエチオピア人から接待を受けている様子だ。
やがて席を合流して、同行のエチオピア人とも話してみると、ナント数週間前に日本から帰国したばかりだという。
日本のエチオピア大使館にも大層お世話になったのだそうで、知った名前がポンポンと出てくる。
結局私たちまで彼らにご馳走になってしまった。

2_262

長い1日にたくさんの出会い・再会。
明日からの練習、気合を入れよう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月24日(木)

今日から本格的なレッスンが始まる。
9時に稽古場へ。
準備運動の後、プラチナダンサー・ゲタチョウが丁寧に稽古を付けてくれる。
ゴッジャムの肩の揺れ、早い動き・・・曲に合わせてかなり練習する。
更にサランも合流し、熱心な指導が続いた。
しばらくすると、和太鼓公演の本番に向けて、次々にダンサーたちが稽古場に集まってくる。
物珍しさも手伝ってか、皆、変わるがわるに寄ってきては得意の所作を手取り足取り教えてくれる。

さて、そんな和やかムードの稽古場に最後に登場したのは、後に私のダンスのパートナーとなるダニエルだ。
白のスーツにサングラス・・・そのあまりにシュールなファッションセンスにレッスンそっちのけで私の目は釘付け。
例えて言うなら、こんないでだち。

AIKAWA

『絶対にお友だちになれない』
と思ったことは言うまでもない。

AMの練習を終えた後、来日経験もある高級仕立て屋のマスフィンの店へ。
美しくディスプレイされたたくさんのドレスを前に、またしても私の買い物魂に火が点いた。
シュロメダで買い物なんかしたら”I will kill you.”というマスフィンの売り言葉に買い言葉で値引き交渉。
金糸の刺繍が美しいドレスと、New designだというツーピース。
そして黒字に金のクロスの刺繍が美しいシャンマ(ショール)を購入。
その後、マスフィンのご招待ランチで、ダシェン・レストランへと向った。

PICT0110

腹ごなしのウィンドウ・ショッピングの後、イェシュワルクのアズマリへ。

PICT0257

PICT0258

元美貌のダンサーだったイェシュワルク。

2_363

直々のダンスレッスンの後・・・

2_312

美味しいコーヒーをいただいて帰路につく。

夕飯は、観光局のハブタムと一緒にクラウンホテルへ。
マスフィンの店で買ったばかりのドレスを着てみる。

2_314

ナショナルテアトルで再会したイェッツだけでなく、他のダンサーたちも皆、私たちの事を覚えていてくれて嬉しい。

2_315

食事もソコソコに踊りまくり、結局最後の客となる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月25日(金)

グレートランの舞台は日曜日に迫っている。
今日からは、舞台に向けた強化練習をしなくては!
9時にテアトルに到着するが、今日は優子さんが大学の授業に出席する為参加できない。

持参した衣装・CDをマラク先生に見せ、まずは、私たちが日本でどんなダンスを踊ってきたのかをデモンストレーションする。
ソマリ・グラゲ・ワライタ・ウォッロ・・・順に踊っていくうちに、他のダンサーたちも集まり始めた。
昨日迄は、教わる一方だったけれど、衣装をまとい音楽に合わせてステップを踏む私たちに、皆、立ち止まって眺めている。
その眼差しが一様に好意的な笑顔であったことにホッと胸をなでおろした。
一通りのデモンストレーションが終わると、マラク先生がまずリーダーのゲタチョウを呼び、日曜日の舞台の主旨を説明する。
その後、5人いた男性ダンサーの内、私たちの人数に合わせ4人が選抜された。
この時初めてエチオピア版哀川翔とも挨拶を交わす。
思いの他フレンドリーな彼。
同じ白いスーツを着るならハードボイルドを決める哀川翔というよりも、その対極にいる田村正和系キャラといったところか・・・

masakazu

少し緊張が緩む。
フォーメーションを決めながら同時に振り付けの指導が入る。
果たして私のパートナーは・・・ソマリをリーダーのゲタチョウと、グラゲ・ウォッロは噂の哀川翔改め田村正和とペアを組む事に決定した。
なかなか振りが入らず慌てるが、そこはプロのダンサー、正和のリードはとても上手で、促されるままにステップを踏むとどうにか形になってしまう。
AMの練習は、焦りと緊張で疲労困憊。
ランチタイムを挟んで2:00PMに再びテアトルに集合。
午後の練習は、優子さんも一緒だ。
本番の曲順に合わせ、何度かおさらいしを繰り返し、疲労がピークに達したところで本日の練習は終了。

ホテルに帰り汗を流し、ドレスアップして再びテアトルへ。
今度は、稽古ではなく正面玄関から舞台を見に出掛けるのだ。
月曜日にホテルまで会いに来てくれたサブレのお兄ちゃんとその友だちらと一緒に和太鼓のパフォーマンスを鑑賞する。
彼らに日本の文化を知ってほしかったのはもちろんだが、私たちの楽しみは、和太鼓とコラボレーションするエチオピア民族舞踊だ。
ところが、この競演は最後のほんの5分程度で、せっかくの彼らの舞台を堪能できなかった事が凄く残念。
ところで、このイベントは日エ国交回復50周年を記念して日本大使館が全面的に陣頭指揮を取っていた。
入場料フリーで誰でも入れるという触れ込みだったが、会場前は物々しい警備でとても一般のエチオピア人が気軽に見に入れる雰囲気ではない。
サブレ兄たちも私たちが一緒でなかったらテアトルの中に入るのを躊躇してしまったのではないだろうか・・・
会場内も招待客が殆どで、圧倒的に外国人の数が多いように感じる。
まばらなエチオピア人の多くが政府の官僚といった人びとだ。
この中にいったい何人の一般市民が混じっていただろう?
進行だってあんまりだ。
エチオピアの国立劇場で両国の国交回復50周年を祝おうという企画なのに、日本語と英語の二ヶ国語だけで舞台が進む。
なぜ、エチオピアの公用語が一切使われないのだろう?
誰のためのイベントなのだろう?
英語でインタビューされたダンサーたちは明らかに困惑していた。

気を取り直して、夕飯へ。
サブレ兄&フレンズがクラウンホテルに招待してくれた。

2_338

グラゲ民族のお兄ちゃんはダンスがとても上手だ。
最後にはお土産まで準備してくれて完璧なエスコート。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月26日(土)

10:00にテアトル集合。
明日のリハを兼ねて、今日はダンサーたちも衣装を付けての練習だ。
1曲目のソマリに着替えたところで、マラク先生が発案し、記念撮影をすることに・・・
タマゴダンサーから昇格したばかりのテリーが、衣装の着替えに手間取っている。
ツルツル滑るサテンのシャツに重ねるストールが思うように決まらないのだ。
見兼ねた兄貴分のダニエルがストールをひらりと広げ、肩から掛けてあげると、たちまちビシッとスタイルが決まる。
撮影を心得ているダンサーたちは、手馴れた様子で右から左へと背の順に並び、その合間に私たちが入りこんだ。
彼らのキメのポーズに習って私たちもポーズを気取る。
ハイ、チーズ。
モカ・エチオピア・ダンスグループ、いよいよ本国でナショナル・テアトルのダンサーとコラボレーション成る!

2_348_

その後、1曲ずつ着替えをしながらリハーサルを終えた。

今日は、土曜日とあって通常の練習は休み。
リハの為に朝から集まってくれたダンサーズに感謝の気持ちを込めて日本からお土産用に持参したサングラスを渡す。

PICT0148

こうして見ると、唄って、踊れる彼らはエチオピア版SMAPと言えなくもない?

smap3

エチオピアでは、TV局が1局しかない。
それも終日放送されているわけではなく、放送時間帯は区切られている。
娯楽の少ないエチオピアでは、ダンスとテレビは欠くことのできないエンターテイメントだ。
国営エチオピアTVでは、1日に何度となく民族舞踊のコマが放送される。
エチオピア国立劇場の現役ダンサーと言ったら、その知名度は国民的アイドル級?

Ethiopian SMAPに囲まれてご満悦の私・・・

pict0146_

でも、やっぱり例えるなら、デビュー当時のSMAPと訂正すべきか・・・

smap1991

共演するダンサーたちとも、だいぶ打ち解けてきた。

リハを無事終えた私たちは、明日の本番に向け髪を結いに出掛ける。
まずは、イェシュワルクのアズマリに立ち寄り、彼女と一緒にマルカート(東アフリカ最大のマーケット)までエクステンションの買出しに行く。

PICT0151

PICT0152

その足で去年もお世話になったビューティ・サロンに直行。

2_370

庭先では、自家製バルバレ作りの為、真っ赤なトウガラシが天日に干されていた。

PICT0157

人気の美容室には客足が途絶えることなく、大層な繁盛ぶりだ。
1.5~2時間掛けてエクステンションを編み込んでもらう。

PICT0159

一番早くに完成した私は、優子さんと二人で明日の本番会場となるマスカルスクエアの特設舞台を下見。
鉄柱のヤグラで組まれたステージは、思いの他背が高く、スペースも狭く、そして、頼みの鉄柱は少々傾き加減・・・『やるしかないね。』という優子さんの一言に力強く頷いた。

ビューティサロンのあるエリアは、安全なエチオピアの中にあって特に治安の悪いエリアなのだそうだ。
陽の沈まぬうちに、残るふたりをピックアップ。
トモカ・コーヒーでモカ・コーヒーを買い、エルサ・コロでバルバレとミトゥミタを購入。
早めの夕食をいただき、明日早朝からの本番に向けて早々にホテルへ引き上げる。
昨日・今日と撮り溜めたビデオをチェックしながら部屋で自主トレ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月27日(日)

いよいよグレート・エチオピアン・ラン本番当日がやってきた。
6:45テアトルに集合。
早朝のテアトル裏口はまだ開場されておらず、入口で立ち往生。
そこに木製歯磨きを齧りながら一番乗りしたのはブルクだ。
続いてミニバスから降りてきたテリー。
そのすぐ後に、マラク先生の車に同乗してやってきたゲタチョウとダニエル。
全員がオンタイムに揃い、稽古場のロッカーから衣装を車に積みこんで会場となるマスカルスクエアに向う。
警備が厳しく、入場まで立ち往生する間に、ブルクが何処で調達してきたのかボンボリーノ(エチオピアのドーナツ)を山ほど抱差し入れてくれる。
漸く控えのテントで衣装早替えの準備完了。
予定より10分遅れの7:40、いよいよ私たちモカ・エチオピア・ダンスグループがエチオピアデビューする瞬間がやってきた。
予定通り、ソマリ・グラゲ・ワライタ・ウオッロの4曲を舞う。

4

9

ステージはアッという間に終了。
青空のもと、緊張することなく、気持ちよく、楽しく踊れたことは、今回の旅、最大にして最高の収穫。

PICT01711

本番を終え、この大会のシンボル的存在、エチオピアの英雄オリンピックのゴールドメダリスト、ハイレ・ゲブレセラシエ選手に挨拶。

2_400

私たちがダンスを終えた8:00から、いよいよレースのスタートだ。
Great Ethiopian Runとは、陸上大国エチオピアが世界に誇る超大型市民マラソン。
第5回目を迎える今年の大会には、招待選手を含め、実に26,000人もの市民ランナーが参加した。
揃いの黄色いTシャツを着たランナーたちが2マイルに渡って、首都アジス・アベバ、マスカル・スクエア前のメインストリートを埋め尽くした。

2005GER_Yellow_River

この行列が過ぎるまでは、身動きがとれない。
しばらくの間、道路も閉鎖されたままだ。
緊張が解け、ホッとすると急にお腹がすいてきた。
揃って地元民御用達のレストラン『ディンキネシ』で朝食をいただく。
一仕事終えた後でダンサーたちとも、随分打ち解けてきた。

2_409

今晩、打上げで再会することを約束して解散。
マラク先生が車でホテルまで送ってくれる。
明日の晩には、チェックアウト。
ホテルの清算を済ませ、買いそびれた土産物を買いに出掛け、夕方6時から開かれるエチオピア協会主催のレセプション会場ギオンホテルへ。
腹ごなしをして、ダンスで盛り上げ、ダンサーたちと約束した午後8時に少し遅れてギオンホテルのロビーまで。
迎えに来てくれたダンサーズと合流。
私たちが持参したお土産のお礼にと、彼らが準備してくれたのはMade in Ethiopiaのサンダル。

2_426

打上げ会場は、哀川翔改め田村正和にしてSMAPキムタクことダニエルが踊っているIBEXホテルに決まった。
ギオンホテルを出て、夜のマスカル・スクエアを皆で手をつないで渡る。(ちなみに、男女を問わず手をつなぐのはエチオピアの習慣です)
途中でタクシーを拾い、目的のIBEXホテルに到着。
地下にあるバーに入り、席に落ち着くと、いつの間にかダニエルが姿を消している。
今日はオフなのかと思いきや、どうやらステージで踊るようなのだ。
皆で乾杯の後、見覚えのある顔がやってくる。
去年、テアトルでお世話になったエリザだ。
元ダンサーにして現在は、ナショナルテアトルの講師を務める彼女は、このバーのショー全般を取り仕切っているという。
合流して再会を祝し再び乾杯!
やがてダニエルのショーが始まる。
パートナーは、ナショナルテアトルのダンサー、テリーと同期のフェレだ。
ショーで見るダニエルのダンスに脱帽。
肩・胸の動きが絶妙だ。
まるで超音波のような波動で胸を揺らす。
しかも、1曲踊る度に私たちを気遣い、私服に着替えては席に戻ってくる。
一緒にビールを飲みながら無邪気に『トゥルノ?トゥルノ?』(良かった?良かった?)と確認する。
おまけに、トラディショナルダンスの合間にシンガーが唄えば、これはラブ・ソングだから一緒に踊りに行こう・・・と休む間もない。

ホスト・キムタクとのツーショット。
2_429_

彼らの見上げたプロ根性と旺盛なサービス精神にお姫様気分のラストナイトはアッという間に更けていった。
深夜、ホテルへ。
明日の朝迄に溢れるほどの荷物を整理しなくては・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11月28日(月)

深夜の飛行機でエチオピアを発つ。
最後の1日は、ジュビリ宮殿に設えられた日本庭園のセレモニーに参加する。
エチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシエの時代、日本とエチオピアの皇室は懇意な関係にあった。
日本を訪れたハイレ・セラシエ皇帝が、その行き届いた女官の教育に簡単し、是非エチオピアの女官に教育を施して欲しいと日本から優秀な女官が送り込まれたという歴史がある。
また、日本の士族からエチオピアの皇室に嫁入り話しが持ち上がったという実話は『マスカルの花嫁』というタイトルの書籍として出版もされている。
そんな時代に皇帝の住まうパレスに作られた日本庭園も、ハイレ・セラシエの失脚以降、手入れもされないまま荒廃の一途を辿っていった。
そして、今年、日本とエチオピアの国交回復50周年を記念して数十年ぶりにこの日本庭園の修復が試みられたのだ。
現天皇陛下・皇后陛下も訪れたというこの日本庭園が、忠実に再現された。

2_470

セレモニーには、エチオピアのメンギス大統領も出席された。

PICT0232

そして、私も大統領の座っていた椅子に腰掛けて女王様気分・・・

PICT0242

通常は立ち入ることのできないパレスの敷地。
ハイレ・セラシエ皇帝が宮殿内で常にライオンを従えていたというのは有名な話しだが、今も宮殿内ではライオンが飼育されている。

PICT0248

皇帝が愛でたライオンたちの末裔なのだろうか・・・

セレモニーに参加し、日本庭園を一通り見て回った後、早々に退散して、イェシュワルクのアズマリに。
ランチに招待してくれたのだ。
穏やかな午後の一時。
帰りがけ、テアトルに立ち寄り、ファンタイオにお礼を。
午後は練習もオフだったようで、お世話になったダンサーたちに最後の挨拶ができなかった事が心残りだ。
最後の買い物に出掛け、ホテルで荷物整理。
胃が疲れては、スープを飲みにやってきたピッツアリア・イタリアで優子さんとともにラスト・ディナー。
荷造りを終えて、出発までの間ホテルのベッドでしばし休息。

この旅の間中、終始静かに、穏やかに、私たちのドライバーを務めてくれたサミーと空港で別れを告げる。
ずっしりと想いの詰まった2度目のエチオピアへの旅は、飛行機の離陸とともに幕を下ろした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)